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「業界インフラ」から「社会インフラ」へ

私はかねてから、「レンダースエクスチェンジであることの責務は非常に重い」と言い続けてきました。貸し手のための貸し手による情報機関だからこそ、法令やお客さまが求める以上の高いレベルで個人信用情報を取り扱わなければならないということを意味しています。その点で、全情連がつくり上げてきたシステムやデータベースの比類のない精緻さ、プライバシー保護に対する理念の高さ、そしてその先進性などは大いに誇ってよいものであると思っています。

今回の法律改正を経て、社会環境や情報インフラ、そして何よりも消費者金融業界そのものが大きく変化していく中で、個人信用情報機関は指定信用情報機関という新たな法律上の責務を担つた上で、従来の「業界インフラ」から「社会インフラ」への脱皮を迫られているものと思います。しかしいかに状況が変化しようと、健全な消費者信用産業の発展を通して国民経済の向上に資するため、個人信用情報機関が果たしていくべき役割が大きくなることはあっても、小さくなることはけっしてありません。

消費者金融の役割が社会から理解され、確立された業界として認知を受けることは、業界関係者にとって長年の、そして最大の課題ではないかと思います。確かに、なかなか解決に向かわない多重債務問題が、消費者金融を否定的にとらえる議論に拍車をかけたことは否めません。メディアによる感情的なバッシングなどその最たるものでしょう。先にも述べましたが、他の産業と比較しても、消費者金融はけっして特殊な発展形態を遂げてきた業界ではありません。それでもなぜ、ここに批判の矛先が向かいがちなのかと言えば、ここにおいて業界の方々が証言するように、社会への対応のまずさが一番大きな要因ではなかったかと思います。

それまで規制のほとんどない世界にいて、良くも悪くも独立独歩で頑張って大きくなってきたことで、エスタブリッシュされた社会、すなわち社会的な権威を持った層との向き合い方を身に付ける機会を逸してしまったのではないかと思われてなりません。多くの人々に利用され、資本市場からも存在価値が認められているのに、なお社会から理不尽な受け止められ方をされているという思いや、何を言ってもわかってもらえないという意識から脱却できないまま、理不尽なバッシングに対しても堂々と対応することなく来てしまった。もし要所要所でこれらに毅然と対応していれば、その後の展開はずいぶん違ったものになっていたはずです。必要なときに反論しなければ、批判の内容を認めたと思われても仕方ないのではないでしょうか。

業態を超えた信用情報の相互交流

日本の個人信用情報機関は、業態ごとに発生し発展してきたという特色を持っています。LEやJDBをはじめとする全情連会員センターは消費者金融会社、株式会社シー・アイ・シー(CIC)は信販やクレジットカードなど販売信用系のクレジット会社、そして全国銀行協会の個人信用情報センター(KSC)は銀行等を主たる利用者として、それぞれに加入する会員の事業特性に応じた形でデータベースを整備し、照会・登録システムや各種サービスの充実を図ってきました(これ以外に、株式会社シーシービー〈CCB〉という全業態横断型の個人信用情報機関があります)。

しかし消費者信用市場の拡大に伴って多重債務者の数が増えていくにつれて、与信業者が個人信用情報を横断的に見ることができない限り多重債務問題は解決しないという声が聞かれるようになってきました。こうした情勢を受け、1979年(昭和54年)2月に、社団法人日本割賦協会(現在の社団法人日本クレジット産業協会)が当時の通商産業省の指導のもと、3情報機関を統合する「クリスジャパン」構想を打ち出しましたが、消費者金融業界に不平等を強いるシステムであったことから全情連としてはこれに反対。代わりに登場したのが、全情連、CTIC、KSCの3情報機関の情報を相互に交流するという考え方でした。

この考え方が初めて文章化されたものが、当時の大蔵省銀行局長の諮問機関である「金融問題研究会」がまとめた「わが国における消費者信用のあり方」という報告書です。ここにはわずか数行ではありましたが、「個人信用情報はできるだけ統合的に利用されることが望ましい。個人信用情報を共通に利用する場合、情報機関そのものを統合する方法と、情報機関相互に情報を交流するシステムをつくる方法とが考えられるが、業界内の発展経緯の相違を考えると、当面は後者の方法が現実的である」と書かれ、これが後にCRINと呼ばれる3情報機関間での情報交流という枠組みの土台となりました。

CRINの推進にあたった三情報機関連絡協議会(後に三者協議会と改称)は、83年(昭和58年)秋から1年にわたって議論を重ね、個人の信用情報が確実にいずれかの情報機関に登録され、多重登録や登録漏れといった問題を回避できる情報交流のあり方を模索しました。そこから打ち出されたのが、すべての与信業者が3つのうちいずれかの情報機関に加盟できるよう産業分野ごとに調整を図り、消費者信用産業全体として個人信用情報の整備・拡充を図る「分野調整」の考え方。さらに、すべての与信業者が自らの業態に応じた情報機関どれかひとつのみに加盟する「一情報一登録の原則」でした。こうして87年(昭和62年)3月にCRINはスタートしました。

ただし情報を全面的に交流するのではなく、”異動情報”を当面限定的に交流するという条件でのスタートでした。全情連として、すべての情報の交流(ホワイト交流)に賛同することができなかったのは、機関によって登録情報の内容や名寄せの有無、あるいは精度や最新性などにあまりに違いがあり過ぎ、その点が整備されなければ与信業者が混乱し、結果として利用者が適切な与信を受けられなくなることを懸念したためです。この主張に対しては、業界エゴだとの批判を受けたのも事実です。しかし精度の高い個人信用情報機関の構築に心血を注いできた私だちとしては、環境が未整備なままでのホワイト交流は単に業務問の不平等というだけでなく、消費者のプライバシーや権利保護の観点からもどうしても受け入れることのできないことだったのです。

早期から打ち出した個人情報保護の考え方

また”レンダースエクスチェンジ”として、全情連は、自分たちが取り扱っている個人信用情報が大切であればあるほど、その情報は情報機関や貸金業者の所有物ではなく、あくまで情報の主体者であるお客さまからお預かりしたものと位置づけねばならないと考えてきました。この考え方を象徴するものが1981年(昭和56年)に策定した21力条から成る「倫理綱領」です。全情連の憲法ともいうべきこの「倫理綱領」は、個人信用情報の取り扱いにおけるプライバシー保護の理念を表した自主規制基準というべきもので、わが国に個人情報保護やプライバシーといった概念がほとんどなかった時代にあって、一団体が自ら策定したものとしては実に画期的な存在ではなかったかと思います。

策定にあたってご指導を仰いだのが、現在もわが国のプライバシー研究における第一人者である一橋大学法学部の堀部政男教授(現・名誉教授)でした。堀部教授は、80年(昭和55年)に経済協力開発機構(OECD)の理事会勧告として知られる『プライバシー保護の8原則』が策定された際、著書においてその意義と重要性を力説された方でもあり、早速つてを頼って教授にお目にかかり、ご指導をお願いしたところ、全面的なアドバイスを頂戴することができたのでした。

「情報は情報の主体者たる本人のものである」と高らかに宣言した前文に続く「収集の制限」「内容の制限」「情報登録の事前同意」「正確性・最新性の保持」「漏洩等の防止」「利用目的の制限」、そして「本人開示」「誤情報の訂正・削除」などの項目は、すべていまの時代にも通用する、というより完全に時代を先取りしたものであることがおわかりいただけることでしょう。全情連がこのような自主規制基準づくりに動いたのは、消費者金融のあり方をめぐる世論や社会状況が日増しに厳しくなり、消費者金融業者が自らの利益のために、個人が第三者に知られたくない情報を扱っているという言われなき中傷・批判に対抗する必要があったこと。

さらにこのとき進んでいた立法作業において、個人信用情報機関が単なる”過剰融資防止機関”としてのみとらえられ、短絡的に法規制の対象となることを防ぎたいという思いがあったからでもあります。はたして、83年(昭和58年)に「貸金業規制法」が成立した際、第30条(過剰貸付けの防止)に「信用情報機関」という言葉が初めて用いられたことは、「倫理綱領」によって全情連が高い意識のもとに個人信用情報を取り扱い、その存在が過剰融資の防止に一定の効果を上げていることが公的に認知されたことの証左と言っても過言ではないと思います。

「全件照会・全件登録」の理念

1972年(昭和47年)8月に、消費者金融業界初の個人信用情報機関である株式会社レンダースエクスチェンジ(LE)が大阪に誕生。続いて75年(昭和50年)4月に東京に株式会社ジャパンデータバンク(JDB)が設立され、その後各地に同じような信用情報機関が生まれていきました。全国信用情報センター連合会(全情連)の前身である全国信用情報交換所連絡協議会は、この時期各地に誕生していた10情報機関の横断的組織として76年(昭和51年)9月に発足したものです。現在でこそ、個人信用情報の照会はオンラインで瞬時に行うことができますが、初期の個人信用情報機関の業務運営は完全な人海戦術でした。お客さまの信用情報は、図書館の目録カードのような紙片に手書きされ、生年月日別に50音順でキャビネットにファイルされています。

会員業者から電話で情報照会が入ると、女性職員が該当者のカードを探し出し、内容を読み上げる。貸付けや返済の事実もそのつど電話で報告され、それを職員がカードに書き加えてファイルに戻すという仕組み。LEやJDBのような大規模機関になると、常時100名~200名もの職員が交代制で勤務にあたり、室内は電話の呼び出し音や、対応に走り回る職員の声と熱気で大変な喧騒状態にあったのを昨日のことのように思い出します。ただ、当初は個人信用情報の持ち方について統一ルールがなく、貸付けや返済に関する事実以外にも、与信の参考になるものであれば「人相悪し」とか「支払い態度悪し」、「メガネ」など、主観的な印象や身体的特徴などまで記入していました。

個人情報保護の意識が定着した現在からはとても考えられないことです。こうした状況に対して全情連は、非常に早い段階から情報の登録や保有の方法について基本ルールを導入しました。登録する内容は、個人の識別に必要な最小限の事実と契約内容や返済などの客観的な事実に限ること、情報機関の会員は融資の申込みに際して必ず信用情報を照会しその結果を漏らさず登録すること(全件照会・全件登録の原則)、情報機関の運営は出資者である株主や役員会ではなく利用者である会員業者から選出した幹事会があたることなど。これらは、多重債務発生の防止という社会的使命を自覚し、利益至上主義に陥ってはならないという全情連の基本姿勢そのものでもありました。

貸し手による貸し手のための信用情報交換

貸金業者が適切な貸付けを行っていくためには、お客さまの返済能力や返済意欲を正確に測定し、それに応じた貸付条件を設定する「与信判断」という業務がきわめて重要な意味を持っています。消費者金融の草創期から、貸し手である業者はそれぞれに与信判断のノウハウを蓄積し、磨き上げてきましたが、市場が次第に大きくなるにつれ、与信判断のうえで非常に大きな役割を果たすようになったのが「個人信用情報」です。黎明期の消費者金融業者は、多くの場合自分たちの商圏内に固定客を持っており、お客さまの来店時の顔つきや雰囲気、集金で訪問した自宅の玄関の様子。それこそ靴がきちんと揃えられているか、花の一輪も飾られているかといったことで生活状況や人となりを察知し、与信判断の参考にしていました。

また当時は、大手企業の社員なら雇用や収入の安定が保証されていましたから、その事実だけで当人の信用度は抜群でした。しかし高度経済成長期を迎えて消費者金融のニーズが拡大し、業者数も増大。利用者における借り回り傾向が高まってきたことから、業者の”勘”だけに頼るのではなく、より客観的な事実に基づく与信判断の重要性が認識されるようになります。こうして始まったのが、顧客の信用情報の交換です。といっても、当初は地域の貸金業者が集まり、返済が滞っているお客さまの名前を交換し合うといった仲間うちの情報交換会にすぎませんでした。

しかし社会の都市化が急速に進展するにつれて人口の流動性が高まり、より広域的な情報交換を行う必要があるということで、1970年代半ばから各地に続々と誕生しはじめたのが、消費者金融業界における個人信用情報機関です。個人信用情報機関は、いまでは他に類をみない巨大なデータベースと洗練された情報交換システムに象徴される、消費者信用産業に欠かせない情報インフラとなっています。ただし、アメリカの個人信用情報機関があらゆるタイプの与信業者を広く対象とする”クレジットビューロー”と呼ばれる形態のものであるのに対し、わが国の個人信用情報機関は、この発生経緯からもわかるように、消費者金融専業者が自分たちのリスク管理を目的に設立した”レンダースエクスチェンジ”(貸し手のための情報交換所)として発展してきたことに大きな特徴があります。

手探りのなかで磨き上げてきた消費者金融業界のノウハウ

1970年代半ばごろから消費者金融業界ではCDやATMの導入が一気に進み、店頭応対の密度は次第に薄れていきました。これに対して86年(昭和61年)9月、レイクでは改めてお客さまとの関係を見直すべく、PC(パーソナル・カウンセラー)制度というものを導入しました。アメリカのワコビア銀行が取り入れていたパーソナル・バンカー制度にヒントを得たもので、一人ひとりのお客さまにPCという社内資格を有する者が対応するという制度です。

PCは常日ごろから担当するお客さまの動向に心を配り、問題が起きれば早期に適切な情報提供を行うことでお客さまとのより良い関係維持に努めていくため、この制度を通じて、多くの社員が消費者金融の何たるかを自覚することができたと思います。消費者金融に限らず、クレジットやローンなどの金融商品をお客さまに上手に利用していただき、問題に直面した際に早期解決を図っていくためには、大きく分けて3つのアプローチが必要となります。

一つは「事前」、すなわち早期からの金銭教育などのことです。もう一つは「事後」。多重債務を負った人々を対象とするカウンセリングなどがこれにあたります。この2つについては、先ごろの貸金業法改正に関する論議の中でも盛んに取り上げられ、多くの建設的なご意見も出されてきたところです。これらに対し、私たち消費者金融業者として真剣に取り組むべきものが「事中」のアプローチ、すなわち、いま消費者金融をご利用中のお客さまに対するカウンセリングです。PC制度は、「事後」のカウンセリングという概念が日本にほとんど育っていない時代にスタートしかものですが、結果としてお客さまを事後カウンセリングの部分に進ませないという大きな効果がありました。

「自分たちのお客さまを多重債務者にしない」ことは、お客さまから頂戴する利息によって利益を得ている消費者金融会社の最大の企業責任です。私たちをご利用くださるお客さまを守ることは、ひいては自分たちを守ることにもなっていきます。どれだけ近代的な産業になろうとも、お客さま一人ひとりとの人間的な結びつきというものなくして、消費者金融業が成り立っていくことはありません。いま私たちは改めてハート・トゥ・ハートという与信の原点に戻り、いかにして自分たちのお客さまを守っていくかを真剣に考えていかなければならないと思っています。

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