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業態を超えた信用情報の相互交流

日本の個人信用情報機関は、業態ごとに発生し発展してきたという特色を持っています。LEやJDBをはじめとする全情連会員センターは消費者金融会社、株式会社シー・アイ・シー(CIC)は信販やクレジットカードなど販売信用系のクレジット会社、そして全国銀行協会の個人信用情報センター(KSC)は銀行等を主たる利用者として、それぞれに加入する会員の事業特性に応じた形でデータベースを整備し、照会・登録システムや各種サービスの充実を図ってきました(これ以外に、株式会社シーシービー〈CCB〉という全業態横断型の個人信用情報機関があります)。

しかし消費者信用市場の拡大に伴って多重債務者の数が増えていくにつれて、与信業者が個人信用情報を横断的に見ることができない限り多重債務問題は解決しないという声が聞かれるようになってきました。こうした情勢を受け、1979年(昭和54年)2月に、社団法人日本割賦協会(現在の社団法人日本クレジット産業協会)が当時の通商産業省の指導のもと、3情報機関を統合する「クリスジャパン」構想を打ち出しましたが、消費者金融業界に不平等を強いるシステムであったことから全情連としてはこれに反対。代わりに登場したのが、全情連、CTIC、KSCの3情報機関の情報を相互に交流するという考え方でした。

この考え方が初めて文章化されたものが、当時の大蔵省銀行局長の諮問機関である「金融問題研究会」がまとめた「わが国における消費者信用のあり方」という報告書です。ここにはわずか数行ではありましたが、「個人信用情報はできるだけ統合的に利用されることが望ましい。個人信用情報を共通に利用する場合、情報機関そのものを統合する方法と、情報機関相互に情報を交流するシステムをつくる方法とが考えられるが、業界内の発展経緯の相違を考えると、当面は後者の方法が現実的である」と書かれ、これが後にCRINと呼ばれる3情報機関間での情報交流という枠組みの土台となりました。

CRINの推進にあたった三情報機関連絡協議会(後に三者協議会と改称)は、83年(昭和58年)秋から1年にわたって議論を重ね、個人の信用情報が確実にいずれかの情報機関に登録され、多重登録や登録漏れといった問題を回避できる情報交流のあり方を模索しました。そこから打ち出されたのが、すべての与信業者が3つのうちいずれかの情報機関に加盟できるよう産業分野ごとに調整を図り、消費者信用産業全体として個人信用情報の整備・拡充を図る「分野調整」の考え方。さらに、すべての与信業者が自らの業態に応じた情報機関どれかひとつのみに加盟する「一情報一登録の原則」でした。こうして87年(昭和62年)3月にCRINはスタートしました。

ただし情報を全面的に交流するのではなく、”異動情報”を当面限定的に交流するという条件でのスタートでした。全情連として、すべての情報の交流(ホワイト交流)に賛同することができなかったのは、機関によって登録情報の内容や名寄せの有無、あるいは精度や最新性などにあまりに違いがあり過ぎ、その点が整備されなければ与信業者が混乱し、結果として利用者が適切な与信を受けられなくなることを懸念したためです。この主張に対しては、業界エゴだとの批判を受けたのも事実です。しかし精度の高い個人信用情報機関の構築に心血を注いできた私だちとしては、環境が未整備なままでのホワイト交流は単に業務問の不平等というだけでなく、消費者のプライバシーや権利保護の観点からもどうしても受け入れることのできないことだったのです。